ウクライナについて

ウクライナの場所

ウクライナはヨーロッパの最も東に位置している。

隣接国として北はベラルーシ、東側にロシア、西側には、ポーランド・スロバキア・ハンガリー・ルーマニア・モルドバと並んでいる。

南には黒海がある。

ウクライナ独立までの歴史 <年表>

紀元前6世紀イラン系騎馬民族(遊牧民)スキタイによる国家 成立
882年~1240年キーウ大公国 (別名:ルーシ) 成立
※1340年にポーランドが東ガリツィアを、1362年に
   リトアニアがキエフを占領下とする。
14~16世紀ウクライナ・コサック集団 形成
※ポーランド・リトアニアの支配下からの逃亡農奴者で結成
1654年ロシアとの併合
※最初はウクライナとしての自治を認められていたが、
次第に統制が強くなっていく
1764年ロシアのウクライナ自治の廃止により、ウクライナ・コサック社会消滅
1772年ポーランド分割
※ロシアはドニプロ右岸を取得。ガリツィア地方(現在の西ウクライナ)はオーストリアの領土となる。
1853年~1856年クリミア戦争
1914年~1917年第一次世界大戦
※ガリツィア地方がポーランドの領土となる。
1917年2月ロシア革命後「ウクライナ中央ラーダ政権」設立
1917年10月2度目のロシア革命後「ウクライナ人民共和国」宣言
※ロシア・ソビエト政府は認めず赤軍を送り3年に及ぶ内戦へ突入。
1918年ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 成立
1918年3月「ウクライナ・ソビエト共和国」樹立
1918年10月19日「西ウクライナ人民共和国」の独立を宣言
※ガリツィア地方に住むウクライナ人がリヴィウを首都に設立
1919年1月「ウクライナ社会主義ソビエト共和国」樹立
※首都 ハルキウ
1919年7月18日ポーランドにより「西ウクライナ人民共和国」滅亡
1922年「ウクライナ社会主義ソビエト共和国」 がソ連邦の構成共和国となる
1929年ソ連邦の農業集団化により数百万の餓死者が出る
1934年首都がハルキウからキーウに移行
1937年「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」改名
1939年~1945年第二次世界大戦
※ドイツがウクライナの大半を占領
※ガリツィア地方・ベッサラビア地方・北ブコビィナ地方が新しくウクライナ(ソ連)の領土に編入
1945年10月24日国際連合加盟国に加盟国として参加
1954年ロシア併合300周年としてクリミア半島がロシアからウクライナに帰属
1986年4月26日チョルノーヴィリ原発事故 勃発
1991年8月24日「ウクライナ」の独立宣言
※国号からソビエト社会主義共和国削除